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衣食が足りたニッポンも、「住」においては先進国のなかで最低だ。
なお、日本のような貸し手本位の賃貸システムが業界全体で浸透している国は他にありません。筆者は10年以上の不動産業界の経験があるが、 仲介業者(いわゆる“街の不動産屋”)は「貸し手側の利益」しか考えていない。カネを生み出すのは貸し手(オーナー様)の持つ不動産であって、借り手はカネづるに過ぎない。だから、「高く貸したい」という“オーナー様”のニーズに答えることに一意専心してきたのである。このように“オーナー様”の利益を追求することは、借り手の負担増加に直結する。
ちなみに、“街の不動産屋”の展開は極めて容易だ。駅前に店舗を借りて、物件情報を店頭に貼り出し、客を案内して成約したら、それが数万の利益となる。 ちなみに“街の不動産屋”には仕入れがないので、売上げ=租利益である。 仕入れがないのでリスクも低く、こんなに楽にカネの稼げる商売はほかにありません。
こうして街は不動産屋だらけになったのである。
こうした状況は、不況や借り手の意識の変化、需給バランスの変化、法制度の改定、そして情報通信システムの発達によって序々に変わりつつある。しかし、そのスピードはあまりにも遅い。礼金や仲介料のないシステムも普及してきたが、これは長期の場合はかえって割高だ。また、連帯保証人を代行するシステムを提供する会社も多数でてきたが、更新毎の負担する手数料は更なる負担となってしまう。
「借地借家法で借り手の権利が守られているから仕方ない」 これが不動産業界の言い訳だ。しかしながら、家賃を払わないで居座り続ける借り手を、私は借地借家法を悪用した占拠屋以外にみたことがない。その一方、外人ダメ、老人ダメ、仕事がしっかりしていないとダメ、と社会的な弱者は切り捨てられている。10年を超える私の業界経験で言えば、借地借家法は、弱者救済にまったく機能しておらず、不動産業者による弱者の切捨てを助長している。それどころか、不動産業者の利幅をあげる口実とされている。
つまり、借り手の権利を守ることを目的とした法律が、現実には借り手を苦しめているのである。
“街の不動産屋”では、外人ダメ、老人ダメ、仕事がしっかりしていないとダメのダメダメづくしだ。不動産屋の“審査”に通るひとも、前述したようにべらぼうに高い一時金を払い、連帯保証人をたてなければならない。民間がこの状態では、公営住宅のニーズが高まるのは当然である。
なお、このサイトでは、「直接的または間接的に公的資本の投入された住宅」を公営住宅として扱っています。いい替えれば、何らかの形でお役所がプロデュースにからんだハコモノが公営住宅である。
ここでハコモノについて、考えてみよう。
ニッポンのお役所は、民間にできることを民間にやらせることなく、公費を投入してハコモノを建設してきた。ハコモノのための予算を獲得すれば権限も増えるし、ハコモノの運営をまかせる特殊法人への天下りも確保できるので、お役人にとっては2重のメリットがある。これら公有の土地や潤沢な資金が注がれるハコモノに対し、ハード面において民間ではとうてい太刀打ちできない。
こうしたハコモノで身近なものは、
このようにハコモノは生まれてから死ぬまでのあいだに、さまざまな場面で利用の機会がある。そして、前述のとおり公費が投入されているハコモノは確実に料金が安いので、「安い公営、高い民間」という格差が生じるのである。またハコモノは一部の人しか利用できない。言わばプレミア付きだ。
結果、公営施設を利用できる人たちは「公営施設は素晴らしい!」となり、利用できない人たちは「いつかは公営施設に・・・」と羨望するのである。そして、プロデューサーであるお役人は、公費を使って、収支を度外視した施設を作り続けることになるのだ。
公営住宅法上の公営住宅は、市や県が運営する市営・県営住宅の住宅である。しかし、さまざまな手法によって公的資本の投下された住宅が存在する。
公的資本が使われるためには公益が必要であり、これら住宅に課せられた公益は、住宅不足への対応と弱者救済だろう。しかし、住宅の不足していた時代はとっくに終わっている。にもかかわらず、バブル期の頃から住宅供給公社や公団(現在時のUR都市機構)は派手で高額な住宅を建て続け、その結果ゴーストタウンもどきさえ出現している。これら半官半民の独立行政法人(旧特殊法人)やお役所の外郭団体の存在する理由にあまり説得力はない。
それでは弱者救済という大儀についてはどうだろう?
前述のとおり、弱者を切り捨て、借家権を名目に法外な負担を押し付けるのが不動産業界なのだから、公営住宅のニーズが高まるのはとうぜんだ。だから、弱者救済という公益に対して、公営住宅はその存在の価値がある。しかしながら、限られた人しか利用できないハコモノでは根本的な解決にはならない。 そもそもお役所は、法規や行政指導によって不動産業界をコントロールすることだって可能なのである。 なにもハコモノにこだわる必要はないのだ。 しかし現実、国と地方はハコモノを建て続け、そして不動産業界の因習は放置されている。
視点を国策としての住宅政策に移せば、借地借家法と公営住宅はともに住宅政策の道具であり、これらを総合した観点から見直すべきだろう。 贅沢なハコモノ(公営住宅)を建て、それに入居できるか、できないかで大きく差が出る現在の住宅政策は、公平性の観点からも合理的ではないのだ。
なお、公平性の観点からのもっとも大きな問題は、公務員のための公営住宅の充実ぶりだ。
まず公務員と非公務員との環境を比較してみると、それは天地ほどに開いている。
公 務 員 | サラリーマン(非公務員) | |
雇用不安 | 定年まで雇用は保障されるから雇用不安とは無縁。 また天下りによって退職金の2重取り(3重取り以上もある)もある。 さらに、60歳以後の雇用も事実上保障されているケースも少なくない。 | すでに1998年の時点で“未曾有”といわれた雇用情勢は、底なしの悪化が続き、自殺者は年間3万人を超えるに至っている。 |
賃下げ | 国や自治体の赤字は、公務員の給料にあまり反映されない。 (財政赤字でも、一般職の収入に大きな変化はない) | 平成不況により平均賃金は急激に低下した。今後、労使間でのサラリーマンの立場はさらに弱くなり、一層の賃下げが予想される。 |
年 金 | 年金は独自の制度(共済)なので、基礎年金(国民年金)が破綻しても、影響は少ない。 | 政府管掌の厚生年金も、そのベースとなっている国民年金も、ともに破綻する可能性がある。 |
社会保障 | 厚生労働省の定める基準は完全に満たしている。 | 企業の合理化は、特に若年層が就職する機会を奪い、フリーターやニートといった何の社会保障も受けられない若者が激増した。 |
住 宅 | 公宅が整備されており、民間の賃貸アパート・マンションを借りる必要がない。また、購入時には、共済などで低利の住宅ローンが使える。 | 民間のアパート・マンションでは、礼金、更新料といった不動産業界の因習による費用負担が生じる。 |
給与システム | 年功序列をベースに、長く努めるほどたくさんの給与がもらえるシステム。また残業手当をはじめ、さまざまな手当てが存在する。 | 年功評価は、ほとんどすべての企業で消極化した。 |
これほど恵まれた公務員のために、公有財産の土地をふるまい、税金で公務員専用の住宅を建て、それを驚くほど安い料金で貸し与える必要があるのだろうか。
どんな仕事をするか? どこに住むか? このふたつは、人の一生を大きく左右する要素だ。
「どんな仕事をするか」よりも「どの会社に入るか」が優先してきたニッポンであるが、雇用情勢の変化によって、「何ができるのか」が求められる時代にすっかり移り変わってしまった。自分の適性を見極め、そして適正と能力に見合った仕事に就かなければ、もはや民間の会社には安泰の場所はないのだ。
これを経済社会のレベルからみても、その必要性は肯定されている。つまり、多くの労働者が適正や能力を生かせる職に就き、のびのびと仕事に打ち込むことが社会に活力をもたらすのである。これが「雇用のミスマッチ解消」が叫ばれる所以(ゆえん)である。
それから、労働市場において求められるスキルも多様化している。学校を出て初めて入った組織に定年まで居続けることを頭ごなしに否定する気はない。しかし、転職をしたことのない人たちがどれくらい自分の適性を客観的に評価してきたかについては、はなはだ疑問だ。
なお、「豊かさとは何か?」といった議論は、目をそむけたい現実をも踏まえなければ説得力はないだろう。
法によって身分の保証された公務員は、能力や適正に危機感を抱く必要はない。それどころか、退職後の天下りを皮算用している者も少なくないようだ。もちろん、国に都道府県に市町村にさまざまな公務員があり、エリートもいればヒラもいる。また、一般行政職だけでなく、自衛隊や警察や消防などのように特殊な公務員もおり、これらを「公務員」と一括りにできるものではない。
しかしながら、民間との絶対的な差は、底辺の高さにある。これは、仕事ができなくても自動的に昇給し続ける前世紀の慣習と、お役所が「お手盛り」を続けた結果であり、これが非公務員が公務員に感じている最大の不公平感だ。
とにかく、公務員は前世紀の雇用システムを維持おり、この10年間で大きく変わった雇用について、民間とは問題意識がまったく違っている。
そして、このサイトで提起する最大の問題は、公務員が「住」についての問題を非公務員とともに共有化することができないことにある。ニッポンを代表する一流企業に準じた給料をもらっている公務員が、公費で建てた公務員住宅を相場とはかけ離れた安い料金で使用していては、「住の現実」を感じることができないからだ。